今週の土曜日、7月27日は「土用の丑の日」です。
この日に鰻を食べる風習は、江戸時代、平賀源内(ひらがげんない)が考えた鰻屋の広告で広まったという説は有名ですね。
その広告は『万葉集』に収められた、ある和歌がヒントになったとも言われています。
石麻呂に 我れ物申す 夏瘦せに よしといふものぞ 鰻捕り喫せ
(いしまろに われものもうす なつやせに よしというものぞ うなぎとりめせ)
「石麻呂さんに申し上げます。
夏痩せには鰻がいいそうです。
捕って食べてはいかがですか」とすすめている歌です。
作者の大伴家持(おおとものやかもち)が活躍した、奈良時代にはすでに、鰻は「夏痩せによし」と言われていたのですね。
ただし、この歌には続きがあって、「瘦せに瘦せているとはいえ、生きてさえいれば儲けものです。
そんな細い体で鰻を捕ろうとしたら、川に流されるからおやめなさい」という、人をからかったような歌も詠んでいます。
果たして、石麻呂さんは、夏を元気に乗り切るために鰻を食べたのでしょうか。
この話を聞いて、みなさんが想像したのは、鰻を裂いて、甘いたれをつけて焼く、香ばしい匂いの蒲焼きではないですか。
実は、この調理法が生まれたのは、醤油や味醂などの調味料が普及した、江戸時代になってから。
それまでは、丸のまま串に刺して焼いていたそうです。
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