香りの散歩道


漂泊の俳人 尾崎放哉


墨絵・朝野泰昌

 「春の山のうしろから烟(けむり)が出だした」

今日4月7日は、鳥取市出身の俳人、尾崎放哉(おざき・ほうさい)の命日「放哉忌」です。

季語や五・七・五の約束事にとらわれず、感じたままを自由に表現する自由律俳句の代表的な俳人として、種田山頭火(たねだ・さんとうか)と並び称される放哉。

流れ漂うように生きた「漂泊の俳人」とも呼ばれています。

最初に聞いていただいた「春の山」の句は、大正15年、41歳でこの世を旅立った放哉が、晩年を過ごした瀬戸内海の小豆島で詠んだ、辞世の句といわれています。

そこは、東京帝国大学を卒業し、いわゆるエリート人生を送っていた放哉が、仕事も家族も捨てて、放浪の末にたどり着いた安住の地。
のちに、尾崎放哉の代表作といわれる句の多くが、小豆島で暮らした8カ月足らずの間に生まれています。

「咳をしても一人」
「足のうら洗へば白くなる」
「入れものが無い両手で受ける」

放哉の終の住処となった南郷庵(みなんごあん)は、建物が復元され『小豆島尾崎放哉記念館』として一般に公開されています。

漂泊の俳人が遺してくれた土台の上に、今を生きる人々は、どんな言葉の花を咲かせることができるのか……。

季語にも五・七・五にもとらわれない、自由律俳句の世界に、皆さんも心を遊ばせてみませんか。



*毎週水曜日・FM山陰.他で放送中  ↓mp3です。 wmp等でお聞き下さい。



*このコーナーは毎週水曜日に日本海新聞で掲載しています



香りの散歩道TOPへ
 /  TOPへ  / 歳時記へ