ヒゲおやじの絵日記/心の旅人
第38話 教えたくないガンコ食堂
絵と文・猪熊燻太郎/提供・朝野家
 趣味は赤い夕陽を眺めること…見合いの席で家内が語った言葉だった。実にすばらしい。ぜひボクと結婚を…。一発でヒザをたたいて申し込んだ。しかし、太陽は沈んでもまた昇るから安上がりですなー。ワハハ…ボクの一言が引っかかり、縁談は難航に難航。七重のヒザを八重に折って、やっとめでたしとなったのだ。このごろ足腰の関節が痛む、後遺症か。
▽夕陽の向こうに極楽が
 夏も去り、涼しくなったこの間、家内の大好きな夕陽を眺めに鳥取砂丘に同行した。
 風景を黄金に染めて沈む夕陽。人もこのようにして老いて死ねたら幸せ。遠い昔の人は、沈む夕陽の彼方に極楽があると信じていたんだ。それが浄土信仰の始まりかも…夕陽博士の家内の言葉に感心しながら砂丘を後にし、国道9号線を家路に向かった。
 途中、岩井温泉近くまで車を走らせたころ、空腹をおぼえた。いつも気になっていた質素でざっくばらんな一軒の食堂の灯りがボンヤリ目に入った。さぞかし色っぽい、ちょっと年増(としま)の美人を期待して戸を開けた。天井の蛍光灯が賞味期限切れで息をしている。目の前のイスに、はみ出るほど大きな薄汚れた猫が丸くなって寝ていたが、横柄な目付きでジロリとにらんでまた寝た。
▽薄汚い店
 薄暗い厨房から、ガンコそうな無精ヒゲを生やし、くたびれたじいさんが、のっそりと現れた。突っ立ったまま『らっしゃい』の一言もない。さっきの猫より横柄な目でボクを上から下まで見回した。不審者を見ているようで、ムカッとした。なんだ、クソじじい…と思いながらうどん定食を注文すると、返事もせず薄汚い厨房に消えた。
 イスのホコリを払って座り、テーブルに手を置くと、なんだこりゃー、お相撲さんの手形みたいな跡がクッキリ。チェッ、ホコリだ。舌打ちして待つこと三十分。ヘイッと一言、目の前に置かれた定食。ふちのかけたどんぶりに大盛りうどん。皿からはみ出した焼き魚、大盛りめし。食べられるかなー。思案顔の家内をシゲシゲ見回してから「奥さん、お代わりできるぜ」とじいさん。その言葉に家内が目を回した。
▽本物とは…
 うどんの汁をひと口、うまい。カツオとコンブとシイタケが絶妙な調和を保ち、お互い自己主張せず、うどんに染み込んでいる。麺もコシが強過ぎず、煮過ぎず…こりゃあ達人だ。じいさんうまいよ。
 「当たり前だ。本物を作ったんだ。世間は見せかけの味が多い。ソロバン勘定ばっかりして既製品のだし汁でごまかしとる。だから人間があかんようになる」。なるほど、恐れ入りました。
 聞けばじいさん、太平洋戦争帰りの筋金入りだ。苦労して来たんだ。それにしても、うまいうどんだった。家内のおかげで良き落日だった。

*このコーナーは毎週日本海新聞で掲載しています

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