ヒゲおやじの絵日記/心の旅人
第37話 かあちゃん、まかしとき
絵と文・猪熊燻太郎/提供・朝野家
▽ひょっこり訪ねて来た男
 盆も過ぎ、訪ねて来る人も少なくなったある日の午後だった。「ご無沙汰、お達者か」と、礼儀正しく現れた男。年のころは四十と五、六。日焼け顔に白い歯、優しく涼しい目。役者に例えればさしずめ役所広司か。ハテ、この男前は誰だったか?言葉に笑みを感じさせる口調…
 ああ、あの時の…今は大阪でコンピューターの仕事をしているという。十四、五年前、ちょっとした手助けをしたことで知り合ったが、いつしか音沙汰も絶えた。
▽待ち受ける試練
 あれは暮れの寒い日のことだった。青年の母親が死んだ。仰々しい花輪もなく、ごく親しい人からの弔電が数通。静かで寂しい葬式だった。喪主は独身のこの青年だった。
 数年前、大黒柱の父親が病気で倒れた。母親は看病に明け暮れる日が続いた。今度は、母親が疲れがもとで倒れ、半身不随となった。青年の生活は一挙に窮地に追い込まれた。人の一生は七つの地獄が待っているというが、ここからこの青年の闘いが始まった。父親を民生委員の協力で施設にあずけた。体の不自由な父親をあずけることは、後ろ髪を引かれる思いだったに違いない。
▽懸命に母の世話
 それかれ一年余りが過ぎたころ、施設から父親の訃報(ふほう)が届いた。青年は肩をゆすって泣いた。周囲は、病の母親を施設にあずけるよう勧めたが、青年はがんとして応じなかった。幼いころから体が弱く、母親に苦労をかけてきた。今度は自分が親の面倒をみる番だといって聞かなかったという。
 わずかな田畑を耕し、時には土木作業員として働きに出た。父はスキー場で働いて母親の世話を続けた。その間の八年、ただの一度も不平や愚痴っぽい言葉を聞いたことがなかったと周囲はいう。
▽今度は自分のための人生を
 とかく、面倒な年寄りはやっかい者扱いして施設にほうり込むのが現代の風潮。昔から、母は十人の子供を育てることが出来るが、十人の子は一人の母親を養うことが出来ないという。誰でも生き方は人によって選ぶ道は違うものだが、この青年が青春を犠牲にして病の母親と共に過ごした年月は何だったのか…
 青年が母親の棺(ひつぎ)に打つくぎの音がなんともやり切れない思いがした。
 『さあ今度は自分のための人生、大地をけって大空高く舞い上がれ』あの時、お経を知らないボクの祈りだった。

*このコーナーは毎週日本海新聞で掲載しています

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