ヒゲおやじの絵日記/心の旅人
第15話「逆転」(上)
絵と文・猪熊燻太郎/提供・朝野家
逆転
 敗戦からようやく復興に弾みが出た、昭和三十年代の年も押し迫った十二月。大阪のある堤防のほとりにバラック小屋があった。妻と子供三人を抱えた時代遅れの浮世絵師が居た。
 直二郎と言う男で近所の子供たちに絵を教えながら売れない浮世絵を描いていたが、暮らしは極貧に近かった。家族は広い大阪の片隅で肩を寄せ合い、いたわり合いながら暮らしていた。何よりも家族が唯一の宝であり命であった。
世間は増々拝金主義の時代に移り、金儲けのうまい人間が尊敬の象徴であり、札束で人の顔を張り、肩で風を切って歩く時代であった。生活苦の直二郎に低俗な絵を描けば金をやると勧める商売人もいたが、直二郎は描かなかった。極貧状態であっても命が生かされている事に不思議さを感じるのだった。
 人間は金儲けが目的で生まれて来ているのではない。その人でしか出来得ない何かをするために生かされていると思うのだった。直二郎も誰も見向きもしない絵に魂をぶつけるように描いた。世間はその価値が解らず、バカ絵師、冷や飯直二郎とあざ笑った。
 そんな直二郎に子供たちは、父ちゃん、父ちゃんと慕った。妻は「苦しい事も共に分け合い味わって生きるから家族だ。苦労の中に本当の幸せがある」と話すのだった。直二郎は家族のやさしさと、いつまで経っても売り出せない自分の狭間に苦しんだ。とうとう耐え切れなくなった直二郎は家族心中を決意し、せめて最後に子供たちに温かいうどんを食べさせたいと思った。そしてとうとうその夜が来た。
 何も知らずに喜んでうどんを食べる子供の顔を見て、胸が張り裂ける思いの直二郎と妻は、バラック小屋に近づく靴音を耳にして顔を見合わせた。(つづく)

*このコーナーは毎週日本海新聞で掲載しています

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